問1-1【解説】
問1 (1) の解答プロセス
設問の確認:
傍線部①「心は脳につまずくのである」について、文中の省略語を補い「AはBを自らの表象空間に取り込みながら、その実、取り込みに失敗している」という形にする際のAとBを特定する問題です。
本文の該当箇所の確認:
傍線部①が記載されている段落を精読します。
ここにいたって、「「脳」とは心が生み出した表象に過ぎない」という呪文はくじかれる。自らの表象空間に取り込みながら、その実、取り込みに失敗している。心は脳につまずくのである。
主語と目的語の特定:
この文章の流れから、「自らの表象空間に(何かを)取り込みながら…失敗している」の主語は、直後の文の主語である「心」であることがわかります。
取り込み対象の特定:
何を「取り込もう」として失敗しているのかを確認します。この段落は、「『脳』とは心が生み出した表象に過ぎない」というテーゼ(考え)が最終的に成り立たないことを説明しています。つまり、「心」が「脳」という存在を自らの表象(イメージや概念)の世界に完全に取り込もうと試みた結果、失敗している状況を描写しています。
結論:
したがって、Aには主語である「心」が、Bには取り込みの対象である「脳」が入ります。
問1 (2) の解答プロセス
設問の確認:
傍線部②「すでに確認したように」が指している具体的な現象を説明する問題です。
本文の該当箇所の確認:
傍線部②を含む一文を確認します。
すでに確認したように、心的現象に対応付けられないかぎり、脳の所見は意味をもたない。
「確認した」内容の探索:
本文の前半部分で、この内容について言及している箇所を探します。すると、文章の序盤、1ページ目に以下の記述が見つかります。
どれほど顕著な所見が脳に認められたとしても、それが心と関連づけられないかぎり、何の意 味ももたない。(中略)脳の電気活動は、それが意志や知覚と結び付けられないかぎり、単なる物理事象である。
内容の要約:
この部分では、「脳の萎縮」や「脳の電気活動」といった脳に見られる所見(物理的な事象)も、それ自体では意味を持たず、「意志」や「知覚」といった心と関連づけられて初めて意味を持つ、と説明されています。
結論:
したがって、「すでに確認したように」が指す現象とは、「脳に見られる所見や電気活動といった物理事象も、意志や知覚のような心と関連づけられない限り、何の意味も持たない」という現象を指します。
問1 (3) の解答プロセス
設問の確認:
傍線部③で「メタファー(比喩)」とされる「鏡」が、何を比喩しているのかを一語で答える問題です。
本文の該当箇所の確認:
傍線部③前後の文脈を読み解きます。筆者は、人間が「見える」だけの世界から、対象を客観的に「見る」世界へ移行するためには、「『見える』世界に亀裂が入らなければならない」と述べています。
「鏡」の役割の理解:
ラカンの鏡像段階を引用し、「鏡という異物が差し挟まれることによって、乳児の『見える』世界が割れる」と説明しています。ここで「鏡」は、主観的な世界(見える)に亀裂を入れる存在として登場します。
筆者の結論の確認:
しかし筆者は、ラカンの議論を乗り越え、この「亀裂を入れる」役割を実際に果たすのは「他者のまなざし」であると結論づけています。
しかし、他者からやってくるまなざしは、この「見える」世界に亀裂を入れる。…こうして自己がたたき起こされ、同時に対象が対象として分離する。
メタファーの対象の特定:
つまり、メタファーとしての「鏡」が果たしている「『見える』世界を割る」という役割を、現実において担っているのが「他者のまなざし」です。設問では一語での解答が求められているため、この核心的な概念から最も重要な一語を抽出します。
結論:
したがって、「鏡」は「他者のまなざし」のメタファーであり、一語で答えるならば「まなざし」が最も的確な答えとなります。
問1-1【解答】
問1 (1)
A: 心
B: 脳
問1 (2)
脳に見られる所見や電気活動も、意志や知覚といった心と関連づけられない限りは、単なる物理事象であって何の意味も持たないという現象。
問1 (3)
まなざし
問1-2【解説】
この設問は、(1)から(10)までの各記述が筆者の考えと一致するかどうかを判断し、誤っている場合は傍線部を正しく修正する形式です。各項目について、本文の記述を根拠に正誤を判断し、修正案を導き出します。
(1) のプロセス
記述:
認識し思考することのもともとの形は、見ること、視覚的体験である。
本文との照合:
筆者は、「実のところ、経験が教えるところに耳を傾けるならば、視覚というものは、それほどあてになるものではない」と述べ、視覚の不確かさを指摘しています。一方で、触覚を「最も未分化な感覚」、「環界とのかかわりの第一歩」であり、「プリミティヴな知覚」として、認識の根源的な様式と位置づけています。
判断:
したがって、この記述は誤りです。
修正案:
傍線部を、筆者が根源的とみなす「触れること、触覚的体験」に修正します。
(2) のプロセス
記述:
心的な現象が脳に由来することは自明ではない。
本文との照合:
筆者は、「脳が精神活動の座であることが確定されたのは、それほど昔のことではない」と述べ、これが歴史的に比較的新しい考えであることを示唆しています。また、日常的な実感として、心は脳ではなく「心臓 (ハート)のあたりに実感される」とも指摘しています。
判断:
これらの記述から、筆者が「心的な現象が脳に由来する」という考えを自明のものとは捉えていないことがわかります。よって、この記述は正しいです。
(3) のプロセス
記述:
こころの現象は脳の機能から推論できるものであり、それによって創発されたものと言える。
本文との照合:
筆者は、「心は脳から『創発』されたものだから」こそ、「脳から心へという方向への問いの立て方は不毛である」と主張しています。また、「心は脳に還元もできなければ、その発生が脳の理屈で説明されることもない」と明確に述べています。
判断:
記述の前半「脳の機能から推論できるものであり」という部分が筆者の主張と真っ向から対立しています。この誤った前提に「それによって」と続く傍線部も文脈上不適切です。したがって、この記述は誤りです。
修正案:
筆者の主張に合わせるには、前半の誤りを正す必要があります。傍線部の修正で文意を正すなら、「それに還元されず、創発されたものである」のように、推論や還元を否定する形に修正します。
(4) のプロセス
記述:
「見える」ものは外的であり、対象として確立されている。
本文との照合:
筆者は、「『見える』世界では、…見えているものは自己の身体の延長線上にある。まだ対象として確立していない」と明確に述べています。
判断:
記述は筆者の説明と正反対であり、誤りです。
修正案:
傍線部を本文の記述に即して「自己の身体の延長線上にあり、対象として確立していない」と修正します。
(5) のプロセス
記述:
触覚とは触れるだけでなく、触れるー触れられるが一体性をなして閉じているものである。
本文との照合:
筆者はビアグラスに触れる例を挙げ、「こちらにやってくる志向性の背後には、その向こう側に滑り落ちる次元が伴われている」、「決して私の経験に包摂できない、まさに他なるものであるという感覚が伴われていなければならない」と述べています。
判断:
つまり、触覚は自己の内側で「閉じている」のではなく、自己の経験に回収されない「もの」の次元、すなわち外部へと開かれていると筆者は考えています。したがって、この記述は誤りです。
修正案:
傍線部を「触れるー触れられるの一体性の向こうに、『もの』という他なる次元が開かれているものである」などに修正します。
(6) のプロセス
記述:
先天盲の人が開眼したら、自己の外部のモノがおびただしく存在していることに圧倒される。
本文との照合:
筆者は、先天盲の人が開眼した場合、「その視覚がもたらすのは明るさと色彩の乱舞だろう。それは身体と地続きであり、切り離されていない」と述べています。
判断:
これは、自己と外部がまだ分離しておらず、「モノ」が対象として確立していない状態を指します。したがって、記述は誤りです。
修正案:
傍線部を「明るさと色彩の乱舞が、身体と地続きのものとして現れるだろう」のように修正します。
(7) のプロセス
記述:
「見える」から「見る」へという転換が起きるとは、視覚が触覚の性質を帯びることである。
本文との照合:
筆者は、「『見る』ためには、触覚的な経験が必要」と述べています。そして触覚の性質とは、対象が自分に回収されない「他なるもの」であるという実感をもたらすことです。この性質を視覚が得ること、つまり視覚情報が単なる光や色の乱舞ではなく、外部にある対象として確立されることが「見る」ことへの転換です。
判断:
この解釈に基づけば、記述は筆者の主張に沿っており、正しいと言えます。
(8) のプロセス
記述:
「真理の場は他者にある」というラカンの考えは、「見る」と「見られる」との差異を無視している。
本文との照合:
筆者のラカン批判の要点は、「乳児は自己像を見る。すでに「見る」ということが前提にされてしまっている」という点です。つまり、ラカンは「見る」という能力がどのように成立するのかを問うことなく、自明のものとして扱っていると批判しています。
判断:
「『見る』と『見られる』の差異を無視している」という批判は本文にはなく、筆者の批判の核心とは異なります。したがって、この記述は誤りです。
修正案:
傍線部を、筆者の批判の趣旨に沿って「『見る』という行為がどのように成立するのかを問わず、自明の前提としてしまっている」などに修正します。
(9) のプロセス
記述:
心脳問題のハード・プロブレムは脳科学で論じられるべき重要な問題である。
本文との照合:
筆者は、脳から心が生まれるメカニズムを問うハード・プロブレムについて、「しかしそれは所詮無理な話である」と断じ、「脳から心へという方向への問いの立て方は不毛である」と結論づけています。
判断:
記述は筆者の考えと正反対であり、誤りです。
修正案:
傍線部を「脳科学では解明することができない不毛な問題」のように修正します。
(10) のプロセス
記述:
脳は心が生み出した表象にすぎないという考えはきわめて生産的である。
本文との照合:
筆者はこの考えを当初は「強力である」と評価しつつも、議論の末に「『「脳」とは心が生み出した表象に過ぎない』という呪文はくじかれる」と述べ、心はこの問題設定では「脳につまずく」として、その限界を指摘しています。
判断:
「きわめて生産的」という評価は筆者の最終的な結論と一致せず、誤りです。
修正案:
傍線部を「最終的には限界に行き着き、くじかれてしまう考えである」などに修正します。
問1-2【解答】
(1) × 誤答理由: 触れること、触覚的体験
(2) ○
(3) × 誤答理由: それに還元されず、創発されたものである
(4) × 誤答理由: 自己の身体の延長線上にあり、対象として確立していない
(5) × 誤答理由: 触れるー触れられるの一体性の向こうに、「もの」という他なる次元が開かれているものである
(6) × 誤答理由: 明るさと色彩の乱舞が、身体と地続きのものとして現れるだろう
(7) ○
(8) × 誤答理由: 「見る」という行為がどのように成立するのかを問わず、自明の前提としてしまっている
(9) × 誤答理由: 脳科学では解明することができない不毛な問題
(10) × 誤答理由: 最終的には限界に行き着き、くじかれてしまう考えである
問1-3【解説】
この設問は、以下の3つの要素を約200字で記述することを求めています。これらの要求に従い、以下の手順で回答を作成します。
- 「モリヌークス問題」の本来の問いの内容を記述する。
- 筆者の答えである「他者のまなざし」が、なぜその問いの答えになるのかを説明する。
- その説明は、本文で展開されている筆者の論理に沿って行う。
「モリヌークス問題」の定義を本文から抽出する
本文には、「モリヌークス問題とは、先天盲の人が開腹手術を受け、目が見えるようになったとき、見るだけで、目の前に置かれた物、たとえば球と立方体を識別できるかという問いである」と明記されています。また、「その人は、あらかじめ見えない状態で、二つの物を順次手にとってみて、それぞれが「球」、「立方体」と呼ばれることを、触覚を通して教えられている」という前提条件も重要です。これを要約して、解答の冒頭に置きます。
筆者の論理展開の核心を把握する
筆者は、モリヌークス問題に答えるためには、単に視覚情報が入るだけでは不十分だと考えています。
まず、開眼直後の状態は、自己と世界が一体化した主観的な「見える」(see) の段階であると定義します。この段階では、球や立方体は外部の独立した「対象」としては認識されません。
次に、それらを識別するためには、自己から分離した客観的な「対象」として認識する「見る」(look) の段階へ移行する必要があるとします。
そして、この「見える」から「見る」への転換を促す決定的なきっかけが、「他者のまなざし」であると結論づけています。
「まなざし」が答えになる理由を接続する
「他者のまなざし」は、自己の内側に閉じていた世界に亀裂を入れ、自分を「たたき起こ」し、自分とは別の外部世界の存在、つまり「対象」の存在を確立させます。このプロセスがあって初めて、目の前にある光や色の塊が、かつて触覚で知った「球」や「立方体」という客観的な対象として認識できるようになります。つまり、「他者のまなざし」は、視覚による識別を可能にするための根本的な前提条件を成立させる役割を担っているのです。
全体を200字程度にまとめる
上記の3つのステップを統合し、論理的なつながりが明確になるように文章を構成します。この流れで文章を作成し、規定の字数に収まるように調整します。
- (問い)モリヌークス問題とは何か。
- (筆者の論)識別には「見える」から「見る」への転換が必要。
- (答えの理由)その転換を促し、対象を確立させるのが「他者のまなざし」だから。
問1-3【解答】 (200字)
モリヌークス問題とは、球と立方体の区別を触覚で識別する先天盲の人が、開眼後に視覚だけで両者を識別できるかという問いである。筆者は開眼直後の「見える」世界は対象とは未分化な状態だと考える。ここから、対象を外部として確立する「見る」への転換が識別の前提となる。その転換を促し、自己を覚醒させ対象を分離させるのが「他者のまなざし」である。このまなざしを経験して初めて、球や立方体を客観的に捉えて識別できる。
問2-1【解説】
この設問は、なぜ心理学が「知性(intellect)」や「理性(reason)」ではなく、「知能(intelligence)」を中心的なテーマとしてきたのか、その理由を本文に即して200字程度で説明することを求めています。
本文から核心的な理由を探す
本文を読み進めると、「二〇世紀初頭に知能だけが心理学用語として残ったのは、じつはダーウィニズムの影響による」という直接的な記述が見つかります。これが回答の最も重要な骨子となります。
ダーウィニズムの影響を具体的に把握する
筆者はダーウィニズムの影響を以下のように説明しています。
- 心理学は、動物の行動を進化論的に捉える19世紀末の生物学や反射学に影響を受けて成立した。
- その結果、動物と人間の知的能力は、種類が違うのではなく「程度の差」にすぎないと考えられるようになった。
「知性」「理性」がなぜ不採用になったかを理解する
上記の考え方に基づくと、「知性」や「理性」という言葉は不適切でした。
知性 (intellect):
理論的・学術的な意味合いが強く、「動物の知性」とは言わないように、人間特有という含意を帯びているため不適格とされました。
理性 (reason):
個人を超えた客観的な道理や社会的な秩序を生み出す能力を指すため、あくまで個人に帰属する能力を測定しようとする心理学の立場とは異なり、不適格とされました。
「知能」がなぜ採用されたかを理解する
一方で「知能(intelligence)」は、動物と人間の連続性を示すのに適した言葉でした。それは「知能」が生物学から受け継いだ(相続した)カテゴリーであり、動物と人間の能力を「程度の差」として捉える進化論的な視点に合致していたからです。
全体を200字程度にまとめる
以上の1から4の要素を論理的に連結し、規定の字数にまとめます。この構成で文章を作成し、字数を調整します。
- 原因: ダーウィニズムの影響で、心理学が成立したため。
- 背景: 動物と人間の知的能力を「程度の差」と見なすようになった。
- 不採用の理由: 「知性」や「理性」は、人間特有の含意や客観性・社会性の意味合いが強く、この連続的な見方にそぐわなかった。
- 採用の理由: 「知能」は生物学由来の概念で、動物との連続性を示すのに適していた。
問2-1【解答】 (200字)
ダーウィニズムの影響下で心理学が成立したためである。心理学は生物学の影響から、動物と人間の知的能力を、種類の違いではなく程度の差にすぎない連続的なものと捉えた。その為、人間特有の含意を持つ「知性」や、客観的・集団的な道理を指す「理性」は、動物との連続性を語る上で不適格とされた。結果、生物学から受け継いだ概念であり、動物にも適用可能な「知能」というカテゴリーが研究の中心テーマとして採用されたからだ。
問2-2【解説】
はい、承知いたしました。ご提示いただいた上智大学の入学試験問題(心理学科)の画像にある大問2の設問(2)について、解答に至るプロセスと最終的な回答を以下に示します。
解答プロセス
この設問は、本文中の空欄②に入る文章を、文脈を踏まえて100字程度で作成することを求めています。
空欄②の位置と文脈の確認
本文(15ページ)で空欄②が登場する一文を確認します。
たとえば、「知能は脳のどこの働きか」ということに関心をもつ脳科学研究はたくさんあるが、「【 ② 】や悟りの中枢はどこか」を問う研究は寡聞にして聞かない。
この文は、科学(特に脳科学)が研究対象として扱うテーマと、そうでないテーマを対比しています。「知能」は研究対象となるテーマの例として挙げられています。一方、空欄②と「悟り」は、主流の科学では「変わり者」と見なされるような、研究対象になりにくいテーマの例として挙げられています。
空欄②に入る言葉の性質を考える
文脈から、空欄②には以下の性質を持つ言葉が入ると考えられます。
「悟り」と並列できる言葉:
「悟り」は宗教的・哲学的な意味合いが強い、人間の高次な精神状態を表す概念です。
「知能」と対比される言葉:
「知能」は心理学や脳科学において客観的・数量的に測定しようと試みられてきた概念です。それに対し、空欄の言葉は客観的な測定が難しく、価値的・哲学的な意味を強く持つものであるはずです。
脳の部位に還元しにくい言葉:
「〜の中枢はどこか」という問いに対して、答えることが極めて困難、あるいは問い自体が無意味に聞こえるような概念が当てはまります。
具体的な言葉を考案し、文章を作成する
上記の性質を踏まえると、「慈悲」「愛」「良心」といった、人間の道徳的・精神的な価値を担う概念が候補として考えられます。「悟り」が仏教的な含みを持つことから、同じく精神的な価値を持つ「慈悲」は特に親和性が高いと言えます。
設問は「空欄に入る文章を…作りなさい」とありますが、文の構造「【 ② 】や悟り」から、空欄には単語が入るのが自然です。そのため、この設問は「空欄にどのような言葉が入るのが適切か、その理由を含めて100字程度で述べなさい」という意図だと解釈するのが最も妥当です。
そこで、「なぜそのような言葉が入るのか」という理由説明の形で、100字程度の回答を作成します。
回答の構成
- 科学が研究対象とするもの(知能)と、しないもの(悟り)の対比構造に言及する。
- 空欄には「悟り」と同様に、価値的・哲学的で、脳機能への還元が困難な概念が入ることを示す。
- 具体的な候補として「慈悲」や「愛」を挙げ、解答とする。
問2-2【解答】 (102字)
社会的関心が科学の研究対象に反映する文脈から、客観的な研究対象と対比される言葉が入る。よって、脳の機能に還元した説明が困難で、科学では研究対象とみなされにくい価値的・哲学的な「慈悲」や「愛」が適切である。
問2-3【解説】
この設問は、文章全体(出典:河野哲也『暴走する脳科学』)を200字程度で要約することを求めています。要約を作成するために、以下の手順で文章の論理構成と要点を整理します。
文章の中心的な主張を特定する
この文章の核心的な主張は、「心理的なカテゴリーは、所与のものではなく、社会的なコンテキストの中で構成される」という点にあります。そして、その構成が科学と我々自身に影響を与えることを論じています。
論の展開を把握する(具体例)
筆者は主張を補強するため、主に二つの具体例を挙げています。
知能:
ダーウィニズムの影響を受け、動物との連続性を示す「知能」が心理学のテーマとなり、「知性」や「理性」は排除された。
情念:
近代資本主義の経済思想の影響で、「情念」という概念が、肯定的な「動機」と衝動的な「情動」に分けられた。
主張がもたらす帰結を整理する
筆者は、この「社会的な構成」が二つの重要な帰結をもたらすと述べています。
科学への影響:
科学が何を研究対象とするかは、客観的な事実だけでなく、社会が共有するバイアス(関心)によって決められている。
人間への影響(ループ効果):
社会的に構成された心理学のカテゴリー(例:「心はコンピュータだ」)は、今度は人々の自己理解や人間観に影響を与え、人々はその定義に合わせて自らを作り変えていく。これを「ループ効果」と呼んでいます。
全体を統合し、200字程度で要約する
以上の要点を統合し、論理的な流れに沿って文章を再構成します。以下の構成に沿って、各要素を簡潔な言葉で表現し、全体の文字数を調整します。
主題:
心理学が用いる「知能」などの心的カテゴリーは、自然に存在するものではなく、社会的・歴史的文脈によって構成される。
展開:
この社会的バイアスは、科学の研究対象を選ぶだけでなく、構成された概念が逆に我々の自己理解を規定するという「ループ効果」を生む。
結論:
このようにして、心は社会的に構成されるものである。
問2-3【解答】 (195字)
筆者は、心理学で用いられる「知能」や「情念」といった心的カテゴリーは、自然に存在するのではなく、社会的・歴史的文脈の中で構成されると主張する。例えば、「知能」はダーウィニズムの影響を受けて形成され、「情念」は近代資本主義の思想により再定義された。この社会的構成は、科学の研究対象を決めるだけでなく、人々の自己理解をも変える「ループ効果」を生む。したがって、心は社会的に構成されるものである。



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