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上智大学 総合人間科学部 教育学科 編入生試験 2023年 過去問解説

問1【解説】

問題の把握:

 まず、問題文を正確に理解します。この問題は、コメニウスの『大教授学』からの引用文(1)と、フレーベルの「幼稚園創設計画」からの引用文(2)を読み、それぞれに示されている「子ども観」(子どもをどのような存在として捉えているか)と「教育観」(教育をどのような営みとして捉えているか)を説明することを求めています。

文章(1)(コメニウス)の分析:

キーワードの抽出:

 「印刷術との類比」「活字を印刷する」「紙の代わりに我々は生徒を有していて」「その心に知識の象徴を刻印しなければならない」「教科書」「インキは教師の声」「書物から聴講者の心へと、知識を運ぶ道具」「学校訓練」。

子ども観の読み取り:

 「紙の代わりに我々は生徒を有する」という記述は、子どもの心を知識が書き込まれる前の白紙(タブラ・ラサ)のような、受動的な存在として捉えていることを示唆します。子どもは、外部から知識を「刻印」されるべき対象と見なされています。

教育観の読み取り:

 教育が「印刷術」にたとえられていることから、教育とは、体系化された知識を効率的かつ画一的に子どもに伝達・注入するプロセスであると捉えられています。教師は「活字」や「インキ」のように知識を刻印する能動的な主体であり、教科書や学校訓練はそのための重要な「道具」や手段と位置づけられています。これは教師中心の教育観と言えます。

文章(2)(フレーベル)の分析:

キーワードの抽出:

 「園丁の配慮」「庭」「植物」「自然と調和して育てられる」「人間というもっとも高貴な植物」「神の萌芽」「自己、神および自然と一致して教育される」「生命衝動」「創造的な活動衝動の保育から出発して、全面的に発達する」「自然と合一する生命の予感」。

子ども観の読み取り:

 子どもを「植物」や「神の萌芽」にたとえていることから、子どもは生まれながらにして自ら成長・発達していく力(生命衝動、自己活動の力)と善なる可能性(神性)を内に秘めた存在として捉えられています。コメニウスとは対照的に、能動的で主体的な存在として見なされています。

教育観の読み取り:

 教育者は「園丁」にたとえられています。園丁が植物の成長を助けるように、教育者の役割は、子どもが持つ内なる力を信じ、その自発的な発達を妨げずに見守り、援助すること(保育)であるとされています。知識を一方的に注入するのではなく、子どもが「自己、神および自然と一致して」全面的に発達できるような環境を整えることが重視されます。これは子ども中心であり、子どもの内発的な成長を尊重する教育観です。

解答の構成:

 上記の分析内容を整理し、論理的な文章にまとめ、それぞれの観点が明確に伝わるよう、簡潔な言葉で記述します。
 まず、コメニウスの子ども観と教育観について、文章の比喩表現(印刷術、白紙)を引用しながら具体的に説明します。次に、フレーベルの子ども観と教育観について、同様に比喩表現(園丁、植物)を引用し、コメニウスとの対比を意識しながら説明します。 

問1【解答】

(1) (391字)

 コメニウスは、子どもを知識を外部から受け取る受動的な存在として捉えている。文章中の「紙の代わりに我々は生徒を有していて、我々はその心に知識の象徴を刻印しなければならない」という記述は、子どもの心を、文字が印刷される前の白紙(タブラ・ラサ)のようなものと見なしていることを示している。子どもは自ら学ぶ主体というより、教えられるべき、形成されるべき対象として位置づけられている。
 教育を「印刷術」にたとえているように、コメニウスの教育観は体系化された知識の効率的な伝達を重視するものである。教師は「活字」や「インキ」の役割を担い、教科書や自らの声を「道具」として、子どもの心に知識を正確に「刻印」していく。これは、教師が中心となって計画的・組織的に教育内容を授ける、教師中心の教授主義的な教育観であると言える。教育の目的は、定められた知識を確実に子どもに習得させることにある。

(2) (403字)

 フレーベルは、子どもを内に善なる本性(神性)と自ら成長していく力を秘めた能動的な存在として捉えている。子どもを「人間というもっとも高貴な植物」や「神の萌芽」と表現している点にその思想が表れている。子どもは、教え込まれなくとも、自らの「生命衝動」や「創造的な活動衝動」に従って主体的に発達していく可能性を持つ存在と見なされている。
 教育者を「園丁」に、教育の場を「庭」にたとえているように、フレーベルの教育観は子どもの内発的な自己発展を援助することを本質とする。教師の役割は、知識を一方的に注入することではなく、植物の成長を見守り、水や光を与える園丁のように、子どもが自らの力で伸びていくための環境を整え、その成長を助けること(保育)にある。これは、子どもの自発性や主体性を尊重する子ども中心の啓発主義的な教育観であり、教育の目的は、子どもが持つ神から与えられた素質を全面的に開花させることにある。

問2【解説】

問題の核心の把握:

 この問題は、「教育における経験の意義」を問うています。単に「経験は大事だ」と述べるだけでなく、「教育学の理論を用いて」論じることが求められています。したがって、経験学習に関する主要な教育学者とその理論を軸に、論を組み立てる必要があります。

理論の選定:

 「経験」を教育理論の中心に据えた最も重要な思想家は、ジョン・デューイ (John Dewey) です。彼のプラグマティズム哲学と教育論は、この問題に答える上で不可欠です。

デューイの理論:

著書『経験と教育』で提示された「連続性の原理」と「相互作用の原理」が中心的な概念となります。また、彼の提唱した「問題解決学習」も、経験が学習プロセスでどのように機能するかを示す好例です。

議論の深化と展開:

 デューイの理論を核としつつ、議論に深みと広がりを持たせるために、他の理論を補足的に用います。

歴史的文脈:

デューイ以前にも、ルソーの「消極教育」(自然の結末から学ぶ)や、ペスタロッチの「直観教授」(実物教育)など、経験を重視する思想の萌芽が見られます。これらに軽く触れることで、デューイの思想の歴史的な位置づけが明確になります。

現代的展開:

デューイの思想が現代でどのように発展したかを示すために、デイヴィッド・コルブ (David Kolb) の「経験学習サイクル」を取り上げます。この理論は、「経験」が「省察(リフレクション)」を通じて、どのようにして深い「学び」に転化するのかをモデル化しており、実践的な示唆に富んでいます。

解答の構成案:

 以上の要素を、以下の構成で論理的に配置します。

序論:

教育における「経験」とは何かを定義し、それが単なる体験ではなく、省察を伴う能動的な学習プロセスであることを述べます。そして、本稿ではデューイの理論を中心に、経験の教育的意義を論じることを示します。

本論1(デューイの経験論):

デューイの『経験と教育』における「連続性の原理」と「相互作用の原理」を説明します。教育的な経験とは、将来の成長につながり(連続性)、かつ学習者の内面と環境との間で生まれる(相互作用)ものであることを明確にします。

本論2(デューイ理論の具体化と発展):

デューイの考えが「問題解決学習」という具体的な方法論に結実したことを述べます。さらに、コルブの「経験学習サイクル」(具体的経験→省察→概念化→実践)を紹介し、経験を学びに変える上で「省察」がいかに重要であるかを強調します。

結論:

これまでの議論を要約します。教育における経験の意義とは、単に活動することではなく、学習者が主体的に環境と関わり、その体験を省察することで、知識を内面化し、さらなる成長の糧とする点にあると結論づけます。これにより、主体性や思考力が育まれるという現代的意義を付言して締めくくります。

問2【解答】(442字)

 教育における経験の意義とは、単なる体験ではなく、学習者が環境と主体的に関わり、その体験を省察することで成長と思考力を培う動的な学習プロセスにある。
ジョン・デューイは、全ての経験が教育的価値を持つわけではないとし、価値ある経験の原理を示した。一つは、ある経験が未来の成長に繋がるべきだとする「連続性の原理」。もう一つは、経験が学習者の内面と環境との「相互作用の原理」から生まれるという考えだ。教師の役割は知識注入ではなく、この有意義な相互作用が生まれる環境をデザインすることにある。
 この思想はD.コルブの「経験学習サイクル」にも発展した。そこでは、具体的経験を省察し、概念化し、次の実践で試すという循環が重視される。つまり、経験は「やりっぱなし」にせず、省察というプロセスを経て初めて、応用可能な知識や思考力へと昇華されるのである。
 このように経験学習は、受け身の知識伝達とは異なり、学習者の主体性を引き出し、現実の課題に対処するための問題解決能力を育む上で極めて重要な意義を持つ。

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